天神が再開発中である。新しい商業ビルがオープンの日で散歩がてら見に行った。漢字の方の蔦屋が入っていて、もちろんというか、スタバが併設されているのだけれど、客席が少ないように思えた。よく見るとシェアラウンジなる時間あたり1,000円いくらという自習スペース的なものがそのエリアを占拠しており、ソウデスカという心持ちになるなど。
天神が再開発中である。新しい商業ビルがオープンの日で散歩がてら見に行った。漢字の方の蔦屋が入っていて、もちろんというか、スタバが併設されているのだけれど、客席が少ないように思えた。よく見るとシェアラウンジなる時間あたり1,000円いくらという自習スペース的なものがそのエリアを占拠しており、ソウデスカという心持ちになるなど。
今日は寒い。去年までこんなに毎日の気温の上下が激しかったかしら。そんなことすらはっきりと覚えていない。もう使わんだろうとパーカーを先日しまったのだけれど、まだ早かった。
昼ご飯にスリランカカレーを食べた。開店して一周年記念らしく、無料でマッシュポテトをトッピングしてもらった。マッシュポテトに黒いごまが二つくっついていて、顔みたいで可愛かった。
ゼミが終わって研究室でだらだらしていると、後輩にこの後時間ありますか、と聞かれる。あまり寝られておらず帰って寝たい、、と曖昧な返事をしてしまう。もともと後輩たちはご飯に行く予定だったのだけれど、一人体調不良で欠席になってしまったらしく、先輩どうですか?ということだった。せっかくだからと行くことにした。
最近出来たらしいイタリアンが中心の店。店名のロゴは英語で、サンセリフ体の上下がシュッと躍動しており、どっしりしていて欲しいなと少し不安になった。まずは飲み物を、とメニューを開くと軽めの白ワイン、まろやかめの白ワインなどという表記で、なるほどそういう感じね、と穿った見方をしてしまう。
いかんいかんと食べ物の方を見てみると、店のコンセプトが前菜の下に書かれている。「イメージは東京カレンダー」とのこと。たしかにそう言われると、カウンターのライティングがそれっぽい。いかにもノースリーブの黒いワンピースを着た誰かしかが座っていそうである。東京カレンダーに載っているような店に行きたい人が来たとして、「イメージは東京カレンダー」という文字列を読んで嬉しいのだろうか、と店の戦略を心配しながら、まろやかめの白ワインを飲み、生パスタを食べた。
後輩たちと別れ、デザートにチーズケーキでも食べて帰るかとスタバに寄ってみると、閉店まで30分以上あるのに片付けが始まっており、終わりましたと告げられる。ちぇっと思いながら、家の近くのケーキ屋へ。繁華街なので、夜のお店へのお土産用にだと思うが、遅くまで開いているのだ。店内でも食べられますよと言われる。白い壁の明るい店内でたばこを吸いながら40代ぐらいの男女二人組が仲よさそうにケーキを食べていた。まぶしさと煙たさで感情が変になりそうだと、ご一緒は遠慮することにした。そんな誕生日だった。
パラパラと昨日買った本をめくっていて、綴じ方が色々あることに気づいた。それぞれどういう方法なのだろうかと色々と調べてみた。例えば、見た目はハードカバーなのだけれど、開くと表紙の片面にだけ本体がくっついているものがあった。つまり本体の背ともう片面が向きだしの状態になっている。これはスイス装というらしい。本体はかがり綴じで、机に置いて見開きで読むのに適しているなと思った。どこでどんな風に読んでもらいたいかにまで意識を張り巡らすということ。それから和綴じだとかかがり綴じだとかを実際にやってみている動画を見て、頑張れば自分でもできそうだな、という気分になっていた。
そういえば、高校生の頃、ある教師が余ったプリント紙をまとめて背を糊付けし、計算とかするときに使えば、みたいな感じで配っていた。前触れもなく廊下に置かれてはあっという間になくなっていたように思う。どう作っているんですか、とその教師ではなかったと思うが誰かに聞いた記憶がある。製本ということを意識したのはそれが始めてだったかもしれない。
ちょっと遠目の神社で開催されたアートブックフェアへ。近所の商業施設に関連のポップアップショップが出来ていて昨日見に行ったのだった。一部の本は試し読みしたり買ったりすることはでき、暑いしまあこれで見たことにするかと迷っていたが、やはり後学のために現地で見て、雰囲気も味わわなければと早起きした次第である。同人誌のデザインに携わることがなければきっと行こうとすら思っていなかったと思う。不思議なものである。
ZINEをはじめ一般流通するアート系の書籍や美術展の図録など幅広く販売されていて、個人書店や出版社の出展が多いのは、文フリとちょっと違うのかもしれない、と思った。福岡のものしか経験がないが、文フリの場合個人やグループでの出展という印象が強い。同人誌みたいにけっこうな数の書き手が集まって一冊の本を、みたいなものがこのフェアではほぼ見当たらず、これも不思議だった。会場が二つあって一つは畳の空間で、庭が見えたり趣があった。ただ、そもそもエレベーターなどがなく車椅子であがれないところを会場に選ぶのは(ウェブサイトに断りはあったが)やはりどうなんだろうかとは思った。もう一つの会場は、ブーストブースの間の通路が狭くてなかなか前に進めず、熱気は伝わるがこの塩梅は難しいものだなと思うなど。
この日記のタイトルの通り、備忘録的にいくつか参考になったことを書いておく。
さて、いくつか海外からの出展があって、それらを中心に見て回った。というのも、横書きの日本語をどうデザインするのかというのが、目下の私の課題で、英語の本もいいが、アジア圏のものであればなにかより吸収できるものがあるのでは、という目論見があったからである。やはりアートブックフェアなので文章が中心となったものが少なかったが、少ないなりに色々と見て、私はもう少し自由に文字を組んで、配置してみてもいいのかもしれないと思った。
が、それをやるとシュッとした感じにはなって、そういったものに対しては、距離を取りたいという意識があり悩ましい。少し話は逸れるが、行政や大学、NPOなどが無料で配っている冊子を見て、似たような違和感を抱くことがある。この内容で全部カラーにしないといけないのだろうか、お金があっていいですねえ、などと思うことが少なくない。そんなものより、あなた方職員の持っている、例えば、仕事や社会、地域への問題意識を、コピー本にして配ってくれたもののほうが読みたい(私だけかもしれない)。一方で、文フリなんかでたまに見かけるとりあえず文章を載せとけばいいだろう、みたいなものに対してはなんでこうなるんだろう、と思う。基本的な技術がないのか、それともそもそも読みにくいと思っていないのか、と。
HIPHOPの楽曲について言及するときによく使われる「いなたい」というワードがある。辞書的には、田舎くさい、と紹介されることが多いが、もうちょっと違うニュアンスがある。シュッとはしていないけれど、気骨がある、とでも言うべきか。私が作りたいのはいなたさとポップさを併せ持つものだ。両立しない概念なのかもしれないけれど。ああ、これがオーセンティシティの問題か、となかなか出発しない帰りの電車のなかで考えていた。