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2025年12月13日
今日の調査が終わってホテルのロビーでここ数週間の振り返り。大きなつやつやの硬い木の椅子にけっこう長く座っていて、腰が痛いような気がする。何の話からか10月、11月と参列した結婚式の話になった。私の両親は仲が悪いので、(そんな予定はさらさらないが)いつか誰かと式を開き彼らを呼んだとして、その険悪なムードがパートナーに伝わってしまうのが嫌なんだ、それで式自体にも躊躇いがあるということを話した。
ある結婚式では、ケーキ入刀の代わりにみたらし団子へあんこかけで、新郎新婦の前に、新郎新婦のご両親たちがお互いに食べさせあっていた。両親のそんな姿は全く想像できないし、いや、これは仲がよかろうと悪かろうとプログラムに組み込みたくないな。プランナーから提案されるんだろうな、いやはや。
それはさておき、後輩(といっても十歳ぐらい年上なのだが)から、そんなことを気にしたら駄目だよと窘められた。あなたのパートナーになる人はそういったこと自体も受け入れてくれるはずだから、と言われて、確かにそうで、独りよがりだったなと反省した。
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2025年12月12日
昨日行った村の隣の村へ。今日は役人と一緒ではなく後輩と二人でバイク移動。乾季というのにインタビュー中、雨が降り始め帰路を心配する。思いの外調査が長引き雨足はだいぶ弱まったが、曇ってはいて暗くなるのが早い。調査先の農家にラオカオという蒸留酒を数杯いただいたので、帰りの運転は後輩に任せた。度数が40度ぐらいの酒で泡盛のルーツだと聞いたことがある。そういえば泡盛を飲んだことがないな。落ち着いたらゆっくり沖縄に行きたいですね。ほとんど明かりのない暗闇のなか、アスファルトで舗装されていなでこぼこみちを、霧雨に打たれながら一時間ほどバイクに乗って帰った。ここ数週間で一番ハードな日だった。

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2025年12月11日
地方の役人の車に乗せてもらって遠くの村へ調査。お腹の調子が優れずトイレから出るともうホテルの前に彼らが来ており、助手席に座らせてもらう。後ろを見るともう二人役人が乗っていて、後輩も含めると後ろは3人とぎゅうぎゅうである。
こっちに来てから、けっこうな頻度で腹から声を出す人に遭遇することがあって、彼らもそうだった。複数人、車の長距離移動の時、前の座先と後ろの座席での会話が難しいという事態にたまに遭遇するが、腹から声を出せばいいのだという学びを得た。とはいえ、なんという苦手な帯域の声で、お腹が痛い中、それを聞きながら悪路を1時間程度移動するのはかなりこたえた。中学高校と二人どうしても苦手な声の先生がいて、英語と国語の先生だったのだが、特に音読するときの声が私に合わなかった。そんなこともよぎってしんどかった。
なんとか到着まで我慢して、農家な家でトイレを借りる。和式(というが日本が由来なのだろうか)でトイレットペーパーも水洗レバーもない。セブンイレブンで水に溶けるティッシュペーパーを買ってきていてよかった。お椀で桶に溜めてある水を掬って流す。
家によっては屋内にトイレがあるが、庭の少し離れたところにある場合が多い。今日借りた家は電気がついていなかった、ので昼間でも光があまり差し込まず暗かった。便器にかがみながら、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』のことを思い出した。日本の厠は精神が休まるようにできているとかなんとか。
水洗レバーはないと書いたが、シャワーはあっておそらくウォシュレット代わりだろうし、浴槽のないユニットバスとでも言えばいあのか、ここで身体も洗う。一応、電気で水を温めるための機械もついているが、どれほど温まるのかはわからない(いま私が連泊している宿は5分で冷たくなる)。そのためか昼間にシャワーを浴びているようで、レストランでトイレを借りたりすると、隣の個室からシャワーを浴びるような音が聞こえることもある。このトイレに「陰翳」はあるのだろうか、とその機械を見上げながらすこし考えたが、なにか違う言葉を使うべきだろうと思い至る。
二軒のインタビューを終えて宿へ。後輩が誕生日ということで、しゃぶしゃぶを食べに行く。帰路、ちょっと寄ってもいいかと言われ、ライブステージのあるレストラン的な店へ。90年代のタイの楽曲のカバーをバンドが披露していた。ベースが五弦で、ドラムは電子ですこし驚いた。ギターもベースもアンプを通しておらず、日本のライブハウスで聴くよりも、音が整理されて聞こえた。特段PAがいるわけでもなく、理にかなっているといえばそうなのかもしれない。ハイネケンを二杯ほど飲んで、トイレにいくと、便器にTODOと書いてあった。これは陰翳ではない。

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2025年12月10日
同行している後輩の母の友達に会いに行くということでついて行った。世間話する程度かと思い小さなバッグに最低限の荷物で行くも、夕飯も一緒に食べますということで、そんなことならパソコンも持ってくればよかったと、準備の間の時間を持て余しまう。
会話にはとてもついていけないので、ちょっと散歩してきますと村を散歩。20分ぐらいぶらついていると、すごい勢いで吠えながら向かってくる犬に遭遇し、慌てて逃げる。狂犬病のワクチンを打っていないので怖い。そんなこんなでいつのまにか迷子になっていた。散歩の前に撮っていた写真に位置情報をつけていたので助かった。異国の知らない村で迷子は怖い。
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2025年12月9日
長らく宿泊しているホテルのロビーに時計が三つあってどれも正しい時刻を示しておらず、うち二つは止まっている。エレベーターは私の部屋の階にだけなぜだか止まらない。

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2025年12月8日
晩御飯に、米粉でできた麺や好きな具材を葉物に包んで麻辣ソースをつけて食べる、手巻き寿司的な店へ。立ち並ぶ屋台から好きなものを選び、石畳の上に並ぶアウトドア用の机と椅子で食べる。10店舗ぐらいあるのにどの店も同じ品揃えで、差別化とは、という不思議な気持ちになる。東南アジアとはいえ、高地でもあるので夜は冷える。少し待つとまずは焼いたティラピアがきて、寒いっすね、という日本語を後輩に教えながら食べた。かなり塩を振ってあった皮はだいぶしょっぱいが、白身はそんなことはなかった。ティラピアは私がこの国で好きな食べ物の一つなのでやっと食べられてよかった。

音楽が流れているといいのにと言いながら彼女がiPhoneを取り出した。一週間ほど前に車で移動しているとき、私がbluetoothでカーステレオに接続し流した堺正章の「さらば恋人」が気に入ったらしく、迷惑にならない程度の音量で一緒に聞いた。When they were happy, they couldn’t recognize they were happy at that time, と伝えるとOhと言っていた。うまく表現できたかわからない。どう言えばよかったんだろう。


