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2025年10月16日
このサイトの改修にいったん目処がついた。まだ直したいところ足したいところはけっこうあるけれど、ぼちぼちやっていく感じでいいと思う。
一覧と再生がしやすいディスコグラフィーのページをつくりたくて、YouTubeの再生リストを組み込もうと四苦八苦したが無理だった。10を越えると表示されなくなるし、再生を止めるとおすすめ動画にエロい動画が現れる。結局、再生リストからは諦めて、一つ一つリンクを貼っていくことにした。それでできることはわかったので、追加していくのは後日。
ふと思いついたしょーもない仕掛けをいくつか置いてみた。だんだん個人サイトっぽくなってきている。
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2025年10月15日
たまにいくカフェで、カウンターに若い女性が座っていて、二人いるスタッフと話している。うち一人とは初対面なようで、名前を聞かれていた。バーやらカフェやらでどのタイミングでお互い名前を知るのだろうかということが気になっていて、なるほどこういう感じなのだなと思いながらコーヒーを飲む。
どうやらその女性がそのカフェに来るのは2回目らしい。私はもう10回以上来ているが名前を聞かれたことがない。ポイントカードのスタンプもよく忘れるのにだいぶ溜まってきている。
「どうぶつの森」というゲームで、私のプレイしていたDSのバージョンだと、博物館の地下に喫茶店があって、何度も店に通っていると、無口な鳩の店主が段々と話してくれるようになる。それに憧れがずっとあるのだが、そういえば名前を聞かれるタイミングってあったっけな。
その女性が帰ったあと、名前を聞いたスタッフが、もう一人に「いい彼女さんですね」と話しかけた。なるほどそれで名前を聞かれていたんだな、と一安心していると、「たぶん」とスタッフ(彼氏)が答えた。怖かった。
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2025年10月14日
ゼミ発表の日。帰路、鬼滅の刃のたぶん甘露寺のコスプレをした人が路上で踊っていた。三脚にスマホを設置していて、配信しているようだった。あー映ってしまう、と嫌な気持ちになりつつ通り過ぎると、少し遠くからその様子を観ている人たちがいた。くすくすと笑いながら。甘露寺からみて、スマホの数m向こうに観ている人たちがいるという図である。甘露寺はスマホのカメラ目線だったのでおそらく目に入っていないだろう。いや、入れようとしていない、か。スマホの向こうに向けてではなく、道行く人に向けて踊った方がいいのに、と思ったけれど、一枚何か言い訳を隔てないと路上で踊れないのかもしれない。
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2025年10月13日
このサイトをはじめとして色々と一新しようと思い、手をつけはじめた。これまでWordpressのテンプレートを使っていたのだけれど、何がどう作用しているのかということがわからないのが気持ち悪いので、もういっそと思い0からコードを書いてみることにした。これがwebデザインなのかプログラミングなのか、それすらもわかっていない。こういう感じにしたいんです、とChat GPTに聞くとそれっぽいコードを教えてくれる。うまく機能していたら、一行ずつ解説してください、ともう一度聞いてみて、そのコードがどういう機能かをなんとなく覚えていく、とそんな感じで進めている。トップページの背景に画像を敷いて、クリックするとそれが切り替わるようにできた。
また変なことに手を出しはじめたなと自分でも思っているが、でもこれをちゃんとやらないとなという気もしている。TwitterもといXに辟易して個人サイトをみたいなムーブをたまに見かける。Xのアカウントを消したばかりの私が言うのもなんだが(どうせすぐ再開する)。別にnoteでもいいのでは?というケースがままあり、それはなんというか手触りがないな、という印象に依る。単にSNSから切り離されたものとしてのアピールだけだとつまらない。もっと面白くできることがまだあるはずなのだが、まだそれが何かはわからない。技術を身につけていくなかでそれはわかってくるのだ、ということが曲や本を作るなかで覚えてもっともよかったことの一つだ。急に英語っぽい奇妙な表現。
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2025年10月12日
声をテーマにした雑誌や本をいくつか読んだ。中学生の時、みんなの前で何かを発表する機会があって、早口で声が高くなってるね、と誰かに言われた。いまだに、特に人前だとうまく話せない。喋る前はゆっくり低く、と思っていても、話し始めると内容の方に意識を持っていかれるような、そんなイメージ。プロ野球のピッチャーが、なんか凄そうな機械を身体のあちこちにつけたり、録画した映像を見返したりして投球フォームを修正するように、なんかそんな感じでやるといいんかもとクライマックスシリーズを見ながら思った。
もしかすると就活はそういう場として機能しとるんかもしれん。もう6年ほどゼミでの学生の発表を見ていて、就活の前後で発表の上手さが変わっているような印象がある。録音して聞き直しましょう、みたいな指導があったりするのだろうか。丁寧かつ流暢な話し方になるし、厳しい質問をうまくかわす術を覚えているようにも思う。それがいいことなのか悪いことなのかわからない。
自分探しの旅に行ってきます、みたいなことを言われたり聞いたりする度に、自分を探す旅に出る自分が自分だよ、と屁理屈を言って、はあ…という呆れた反応をもらうことが一度となくあった。ある雑誌のあるエッセイの中に「自分の声を発見する」という文字列をみてそんなことを思い出した。
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2025年10月11日
ノスタルジーの廃るの部分。