61606
-
2026年1月8日
体力をつけねばと思い5キロほど走った。途中途中で歩きながら。このぐらいの距離を走るのは中学生の時の体育の授業以来だと思う。とすると十年以上は走っていないわけだ。いざという時に走れないと、という謎の切迫感をうっすらずっと持っていて、ようやく手をつけ始めた形である。とりあえず10kmを一時間を目標にしよう。自分の身体は自分で持ち上げられないと、という切迫感もある。懸垂もだ。
-
2026年1月7日
昨日覚えたばかりのWordの使い方を後輩たちに共有。こういう話はダルいかなとやや心配だったが、思いの外わいわいとできてよかった。久しぶりに予備校のチューターだった頃の気分を思い出す。週に一度の面談の時間でなく、私含め何人かで解法の面倒な問題にあーでもないこーでもないと取り組んでいた時の方が、問題への向き合い方をはじめその生徒たちを知れていたと思う。
-
2026年1月6日
いよいよ後輩たちが卒論、修論の執筆に取り掛かる時期である。取り掛かる前にWordの設定をみんなでやったほうがいいなと思い、これを期にいつかいつかと先延ばしにしていたWordの使い方の勉強に一日中取り組んでいた。初期設定だとありがた迷惑な勝手な動作をするので、それらをまずはオフに。次に見出しとスタイルについて。要するに、見出し、小見出し、本文という感じで、文章に階層をつけるということだ。見出しを設定することで、アウトライナー的に使えるようになった。ナビゲーションウィンドウで常に目次を画面上に表示できるようになり、目当ての見出しをクリックすれば、その箇所までひとっ飛びである。例えば第二章の文章をいじっていて、第四章をいじりたくなったときに、すごい勢いでスクロールしていたあの時間がこれによってなくなった。さらには、目次自体も数クリックで作ることができる。第一章〇〇…………………………….2p、のドットをひたすら手動で打っていた時間もなくなった。一体全体、卒論や修論を書いていた時のあの時間は何だったんだろう。
ミュージシャンが説明書を読まずに本来とは違う方法で機材を使って想外の音を鳴らす、みたいなエピソードをたまに聞くのだけれど、ほんとかしらとけっこう疑っている。それってガチャみたいなことなんじゃないの、と。すべての挙動を把握するというのはなかなか難しいだろうが、体感だが6割ぐらいはわかっていた方がいいんじゃなかろうか。
-
2026年1月5日
生活史に関する幾つかの本を読んだ。「鉤括弧を外すこと」とあって、「いわゆる」という場合のそれかと思い(込み)ながら読んでいるとそういうことではなく、語りという意味での「」を外すということだった。どう外すか、どうすれば外してもよいかという話で、ここの理解がなかなか難しい。
まず、単に外すだけでは一般性に回収してしまうことになり、それはある種の暴力であると。とはいえ、外さなければ単なる語りの羅列である。語りから見出された何かしらによって、理論の側あるいは聞き手が変わること、またその相互作用とでも言うべきか、それが「」を外すための条件である。さしあたりこういう理解である。
なるほど倫理的ではあるが、なにか物足りない。そのなにかがわからない。
-
2026年1月4日
大掃除6日目。ようやく終わった。明日から新年が始まるという気分だ。今年はこの部屋の状態を維持していくこと、それと日々の運動を継続していこうと思う。さすれば他のこともついてくるだろう。
-
2026年1月3日
大掃除5日目。エネルギーが切れているような感じがあって、起きてそんなに経っていなかったが、近所のうどん屋でカツ丼を食べた。血糖値があがっちゃうよ、、と思いながら。ある種のこういったストレス解消は去年でやめようと思っていたのだけれど、大掃除が終わるまでは、という言い訳をしている。
人間をロボットのようなものとして捉えるとでもいうか、そういう考え方がここ数年で広がったような気がする。フィジカルもメンタルも、その調子を例えばなにをいつ食べるのかでコントロールするような。背徳の、という枕詞が料理やお菓子に付いているのをよく見かけるが裏返しだろう。道徳に背くとはよっぽどのことだぞ、と見る度に思うが。
いやはや、カツ丼を食べながらこれは道徳に背いているなどと考えたくないものである。じゃあスタバでコーヒーを飲んでいる時は?