61606
-
2025年9月22日
留学生が誰それの口座への振り込みで手間取っており、その手伝いだけのために大学へ。昨日ぐらいからずっとお腹の調子が悪くて、バスの中で案の定痛くなり、降りようと思ったが遅刻しそうなのでなんとか踏みとどまった。昨日、夢の中で食べた牡蠣に当たったんだと思う。突発的にお腹を下すというのは数ヶ月に1、2回ぐらいの割合であるのだけれど、慢性的に?調子が悪い(ずっとゆるい感じ)というのは初めての経験で戸惑っている。とはいえ、やばい締切が3日後に迫っている。まあ、ストレスのせいだろう。今年は体調崩しすぎだと思う。困った困った。
-
2025年9月21日
苦手な牡蠣を食べる夢を見て目が覚めた。昨日に引き続き朝から近所で大きな工事をやっていて、そっちの音で目覚めたというほうが正しいか。寝不足か気温の変化か先月からの無理がたたったか、なにが原因だかわからないが体調がすぐれない。ポケモンでいうところの毒と混乱が同時にきている感じがある。同時にってことはあのゲームのシステム上ないんだっけ。どうせならメロメロがいい。
-
2025年9月20日
もう無理ってなんかずっとうっすら思ってる、とツイートしかけてやめた。憂鬱を撒き散らすものでもないと思って(じゃあこの日記はなんなんだという気もするが)。いやはやご機嫌でいたいものですな、と思いつつ気分はくさくさしていたので散歩。歩きながらふとTwitterもといXのアカウントを今月の終わりあたりで消そうかなと思った。とりあえず思っただけ。
帰宅。
やたらお腹が空く日で、寝た方がいいとは分かっているが、松屋に行くことにした。家の外で酔っ払いが、「死ねよ 死んでくれよ ごめんよ」と叫んでいるので収まるまで待つ。もうそろそろ去ったかなという頃合いで家を出ると、その酔っ払いが警察にやさしく取り押さえられている。横を通り過ぎる時、よく見ると、「飲みすぎだよ」と頭を撫でられていた。人に死ねといったら脅迫なのかもしれないけれど、世界に対して死ねと叫んでもたぶん(人に言うよりは)罪には問われず、あまつさえ警察に優しくしてもらえるんだなと思った。
-
2025年9月19日
今日も朝から大学へ。留学生のゼミに参加。少し涼しくなった気がしたかと思ったら、帰りのバスが暑くて気分が悪くなった。
-
2025年9月18日
朝から大学で用事。ちょっとした打ち合わせのつもりが、がっつり話を聞く感じに。調査のときのモードに切り替えないと、急に集中したからかどっと疲れた。
-
2025年9月17日
早めに起きて荷物を整理し、途中渋谷で降りてケバブを食べ、国立近代美術館へ。コレクションの戦争記録画を中心とした特集。いつかの常設展で見たことがあったものもちらほら。「アッツ島⽟砕の図」をはじめとする藤田嗣治の絵画がけっこうというかかなり展示されていて、なかなかない機会なのではと思った。
スタイリッシュな紀元2600年記念日本万国博覧会のポスターや銃後の人々の暮らしを描いたものなどいろいろと興味深かったのだけれど、特に、丸木位里・俊の「原爆の図 第三部 水」が鳥肌が立つほどの衝撃で、数枚の屏風の前を行ったり来たりしながらしばらく見ていた。埼玉の丸木美術館にもいかなければ。展示の終盤にある広島市民が描いた原爆の絵も数多く展示されていて、同じくらいの衝撃だった。漫画の一コマ的とでもいうべきか、文字が添えられた絵が多かったのが印象的である。水木しげるや手塚治虫の次のコーナーだったからそう思ったのかもしれないが。
次の予定が控えていたので急ぎで常設展のほうも見た。藤田嗣治や丸木俊など特集のほうにも展示されている作家の絵が補完/対比されるように展示されているように感じた。藤田嗣治が墨でさっと描いたようなと魚の絵が、照明の薄暗い日本画のコーナーに展示されていて、さっきまでの濃密な戦争画との差に同じ人…?と思うなど。日本画のコーナーには戦争画が数枚あって、さっきまでの特集と比べて、なんというかコントラストが淡かった。急ぎではあったけれどセットで見てよかった。
羽田空港へ行く途中、一軒の本屋に寄る。珍しいことにデザイナー毎に本が並べられていた。小田実が創刊した『週間アンポ』が数冊あって、これさっき美術館に展示されてよな、と思いながら0号を買った。2500円。合わせて筒井康隆編集の『面白半分』という雑誌のタモリの日記が掲載されている号も買った。帰りの機内でパラパラと巡っていると、全冷中の活動を山下洋輔が振り返る連載があって、ちょうど福岡のホテルでタモリと出会うあの有名なエピソードについての回だった。いい買い物をした。