• 2025年4月8日

    昨日の日記を読み返して調子のよいことを書いとるなと思った。先月は多忙ゆえその日のうちに日記を書くことがあまり出来なかった。今月はどれだけ眠くてもなるべくその日のうちに、とうつらうつら書いていて、翌朝読んでこんなことを書いていたのか、と驚くことがしばしば。一晩経って改めて考えてみて、大袈裟に書いてはいたが、昨日のアイデアは、悪い筋ではなさそうである。

    買い物に行った帰り、警察官が5人ぐらいで一時停止の取り締まりをしていた。最低賃金で考えていくらの税金がここに、、マルクス経済学的にはどう捉えられ、、みたいなことをすぐに考えてしまう。公務員に対してマルクスって何か言ってたりするのだろうか。やっぱりサービス業となるとわからんなとこれを機にいくつか積読していた文献をパラパラと読んでみた。意外というか、ネグリ&ハートの『帝国』に第一次産業から第二次、第三次への移行、つまり非物質的生産の増大について、マルクスの乗り越えとして論じている箇所を見つけ、そういう本やったんやという学びがあった。

    なんでもいいけれど、例えば、ソシャゲがどういう剰余価値を創り出しているのか、ということを説明できないといけないと思う。資本家が労働者からピンハネする部分を剰余価値というけれど、ほんとにそれだけかね、ガチャは?と思っていた。あながち間違っていなかったのかもしれない。マルクスが現代に蘇ったら、という視点に立たんとなと改めて思うなど。マルクスは『花束みたいな恋をした』を見て何を思うんだろう。『シン•資本論』が待たれる。

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  • 2025年4月7日

    気圧のせいか頭が思い一日。これまでの研究成果と今年度の研究計画を合わせたスライドを一日中作っていた。机から動くのもだるく、洗濯機に洗濯物を入れたまま、キッチンに洗い物を溜めたまま、政府や国際機関の資料を読んでいた。あたまいてー、腰もいてーと悶々と、猫背を気にしつつページをスクロールしていると、急にアイデアが降ってきて、これが形になれば今年度というか卒業までいけるという感触があった。調査対象地が二ヶ所あって、それらをどう並べるか、接続するかということがずっと懸念事項だったのだけれど、これならなんとかなりそうである。

    研究と趣味の間を行ったり来たりしながら、これまで見て/聞いて/食べて/飲んできたことを有機的につなげることができそうな気がしている。先々週、恵比寿であの展示を見ていなかったら、数年前、勇気とお金を出して現地の案内人に世界遺産を回るツアーを頼んでいなかったら、大学に入ってすぐ、幼馴染に連れられてあのお店に通っていなかったら、イムズの裏のジュンク堂(今はどちらももうない)のエスカレーターをのぼった先の棚に、あの本が並んでいなかったら、今日このアイデアはきっと生まれてなかったと思う。

    どうなんだろうか。深夜テンションのせいでないことを祈りたい。全く行く気持ちのなかった万博にも行かなければ、みたいな気持ちになってきている。やはり深夜テンションな気がしてきた。それに、こんな風に物語化したがるのは私の悪い癖だ。明日起きたらしょうもな、となっている可能性もなくはない。とはいえ、たぶん大丈夫だろう。あと一年で形にできるか不安しかないが、なんとかするしない。研究の領分をはみ出てしまう部分もあるけれど、それは別の形のものとして形にできるだろう。これが私にとっての批評だ、というものを。

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  • 2025年4月6日

    久しぶりに色んな音楽をディグって聞こうという心持ちになってきていて、少しは元気になってきたのかなという感じがする。と思っていつもSpotifyなのはな、とSoundCloudを開いたが、やっぱり使い方がよくわからん。SoundCloudにはあるジャンル、(もう古い例えだろうが)ハイパーポップのシーンあるいはコミュニティ的なものがあると聞いたことがある。しかし、そこにSoundCloudのアプリだけを使っていてたどり着ける気がしない。

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  • 2025年4月5日

    寝ても寝ても眠い。今日も麻婆豆腐を作って食べた。文字が滑るので部屋の模様替えをして気分を変えた。頭の片隅にあった種々のアカウントの整理などを、こんまりと成田悠介の対談を聞きながら。

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  • 2025年4月4日

    いつか買っていた麻婆豆腐の素で麻婆豆腐を作って食べた。これを昼と夜に食べた。いつも挽肉が多いなと感じていたので半分の量に。50g程度のパックなど売っていないので豚の挽肉が半分余る。冷凍するのもなんだしな、とまた明日も別の麻婆豆腐の素で麻婆豆腐を作ろうと思う。同じ料理が続いたっていい。

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  • 2025年4月3日

    なんとも言えない連絡があったが、まともに返信する元気がなく(別段する必要もないと言えばないので)、流した。こうやって舐められて、もとい雑に扱われていくんだろう。私の苦労も、気遣いも、こだわりも、それらのうちほんの数ミリさえ伝わらないことがある。そう自分で思って、さらには言ってしまう時点でまだまだなんだろう。数ミリ伝わっていても(それはとても有難いことなのに)数ミリか、と思ってしまうし、数センチのつもりで言ってるんだろうけれどそれは数ミリなんじゃよ、と思ってしまう。自分の性格の悪さに辟易している、のだろうか。高校時代、あなたの善人ぶってるところが嫌いです、と私に言った人の誕生日が今日で、おたおめです、とLINEを送った。あの時よりはやなやつになれてるよ。

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