• 2025年4月20日

    パラパラと昨日買った本をめくっていて、綴じ方が色々あることに気づいた。それぞれどういう方法なのだろうかと色々と調べてみた。例えば、見た目はハードカバーなのだけれど、開くと表紙の片面にだけ本体がくっついているものがあった。つまり本体の背ともう片面が向きだしの状態になっている。これはスイス装というらしい。本体はかがり綴じで、机に置いて見開きで読むのに適しているなと思った。どこでどんな風に読んでもらいたいかにまで意識を張り巡らすということ。それから和綴じだとかかがり綴じだとかを実際にやってみている動画を見て、頑張れば自分でもできそうだな、という気分になっていた。

    そういえば、高校生の頃、ある教師が余ったプリント紙をまとめて背を糊付けし、計算とかするときに使えば、みたいな感じで配っていた。前触れもなく廊下に置かれてはあっという間になくなっていたように思う。どう作っているんですか、とその教師ではなかったと思うが誰かに聞いた記憶がある。製本ということを意識したのはそれが始めてだったかもしれない。

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  • 2025年4月19日

    ちょっと遠目の神社で開催されたアートブックフェアへ。近所の商業施設に関連のポップアップショップが出来ていて昨日見に行ったのだった。一部の本は試し読みしたり買ったりすることはでき、暑いしまあこれで見たことにするかと迷っていたが、やはり後学のために現地で見て、雰囲気も味わわなければと早起きした次第である。同人誌のデザインに携わることがなければきっと行こうとすら思っていなかったと思う。不思議なものである。

    ZINEをはじめ一般流通するアート系の書籍や美術展の図録など幅広く販売されていて、個人書店や出版社の出展が多いのは、文フリとちょっと違うのかもしれない、と思った。福岡のものしか経験がないが、文フリの場合個人やグループでの出展という印象が強い。同人誌みたいにけっこうな数の書き手が集まって一冊の本を、みたいなものがこのフェアではほぼ見当たらず、これも不思議だった。会場が二つあって一つは畳の空間で、庭が見えたり趣があった。ただ、そもそもエレベーターなどがなく車椅子であがれないところを会場に選ぶのは(ウェブサイトに断りはあったが)やはりどうなんだろうかとは思った。もう一つの会場は、ブーストブースの間の通路が狭くてなかなか前に進めず、熱気は伝わるがこの塩梅は難しいものだなと思うなど。

    この日記のタイトルの通り、備忘録的にいくつか参考になったことを書いておく。

    • それぞれの本への簡単な説明(1ツイートぐらい)の紙が見本誌にくっついていた。表紙からは中身が想像できない本が多く、かといってひとつひとつ開くのも手間であり、有り難かった(なければないで、会話のきっかけになることもあるのだろうけれど)。
    • かなり大きめなかなり目立つパステルカラーの紙袋を500円ぐらいで売っているブースがあり、それを本を入れるバッグとして持っている人が多く、宣伝になっていた。
    • フリーペーパーやステッカー、名刺を無料で配布しているブースがあったけれど、話を聞くまでそれが無料だと気づけなかった。こういったのはでかでかと示したほうがいい。ブース自体のデザインが大事だ。そういった同人誌・ZINEがあったらけっこう売れそうな気がする。

    さて、いくつか海外からの出展があって、それらを中心に見て回った。というのも、横書きの日本語をどうデザインするのかというのが、目下の私の課題で、英語の本もいいが、アジア圏のものであればなにかより吸収できるものがあるのでは、という目論見があったからである。やはりアートブックフェアなので文章が中心となったものが少なかったが、少ないなりに色々と見て、私はもう少し自由に文字を組んで、配置してみてもいいのかもしれないと思った。

    が、それをやるとシュッとした感じにはなって、そういったものに対しては、距離を取りたいという意識があり悩ましい。少し話は逸れるが、行政や大学、NPOなどが無料で配っている冊子を見て、似たような違和感を抱くことがある。この内容で全部カラーにしないといけないのだろうか、お金があっていいですねえ、などと思うことが少なくない。そんなものより、あなた方職員の持っている、例えば、仕事や社会、地域への問題意識を、コピー本にして配ってくれたもののほうが読みたい(私だけかもしれない)。一方で、文フリなんかでたまに見かけるとりあえず文章を載せとけばいいだろう、みたいなものに対してはなんでこうなるんだろう、と思う。基本的な技術がないのか、それともそもそも読みにくいと思っていないのか、と。

    HIPHOPの楽曲について言及するときによく使われる「いなたい」というワードがある。辞書的には、田舎くさい、と紹介されることが多いが、もうちょっと違うニュアンスがある。シュッとはしていないけれど、気骨がある、とでも言うべきか。私が作りたいのはいなたさとポップさを併せ持つものだ。両立しない概念なのかもしれないけれど。ああ、これがオーセンティシティの問題か、となかなか出発しない帰りの電車のなかで考えていた。

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  • 2025年4月18日

    POST HUMANと胸の部分に書かれた半袖のTシャツを着ている人を見かけた。暖かい1日だった。

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  • 2025年4月17日

    見たかった映画が今日で公開が終わるということで、気合いで早起きしてちょっと遠くの映画館へ。私はいま駄サイクルのなかにいるんだろうか、とバスの中で云々と唸っていた。そうならないように、とやってきたつもりではある一方で、「ソラニン」という曲の一節が頭をよくよぎる。

    たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
    きっと悪い種が芽を出してもうさよならなんだ

    最近、TwitterのIDと名前を変えたのはそういう気持ちが少なからずあったからだ。ゆるい幸せ、ではまだないけどね。ともあれ、答えは出そうにないけれど、その芽が誰にとっての毒なのか(あるいは薬なのか)は考えないとな、とは思う。

    そろそろ溜まっているだろうゴミ出しと図書館で本を借りるために大学へ。夜も遅いし誰もいないだろうと思って研究室へ向かうと明かりがついていて、同期か、、とドアを開けると後輩で驚かせてしまった。小一時間ほど相談に乗って帰路へ。途中、気合を入れないと返せない連絡を返すための気合を入れるために遅くまで開いているカフェに寄った。

    アメリカーノを待つ間、麦茶とコーヒーをブレンドしたドリンクの試飲をもらう。コーヒーのかすを肥料として育てた麦を使っているとのこと。初めて座ってみた窓際で飲んでいると、店員さんに、ちょっと見えにくいけれどあそこのビニールハウスで育てているんですと教えてくれた。たしかに見えにくく、窓から顔と出してようやく少し確認できるぐらいである。ビルとビルの隙間にこんなビニールハウスがあったとは。循環型都市農業(かといってそれを打ち出しているような店ではない)だ、と驚きながら麦茶コーヒーを飲んだ。麦茶の独特な渋み?が苦手なのだけれど、それがコーヒーで和らいで/紛れていて、口当たりもよく普段飲むのにいいかもと思った。

    たまにいくカフェで、ふだんはゆったり目のビートが流れているのだけれど、今日はずっとJJJの楽曲が流れていた。アルバムやシングルからではなく、客演だったりライブ音源が中心だった。この街も彼のことを追悼しているような気持ちになって、少し、心の整理ができたように思う。

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  • 2025年4月16日

    ミックスやビート提供などで参加しているurakくんのアルバムの制作に一区切りがついた。来月頭にはリリースされるはずである。振り返ってみると一昨年の年末から制作が始まっていて、アルバムを作るとはこういうことかと実感している。ミックスしている時、同人誌の組版をしている時と似た気持ちになる。フォントを選ぶようにプラグインを選んで、文字の大きさを調整するようにボリュームを調整している。と書きながら両方やってる人って結構珍しいのではと思った。

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  • 2025年4月15日

    何かをしていないと落ち着かず、皿を洗うなど家事をして過ごした。

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