道を歩いていると、若い男性がコインパーキングの隅、自販機の横にスマホのカメラを向けていた。何を撮っているんだろうと目を向けると、黒いピチピチしたTシャツに金色のネックレスをした筋肉質の男性がカメラに背を向ける形で少し俯いていた。こういうかっこよさげなポージングをHIITを続けた先に私はできるようになったりするんだろうかと通り過ぎる。なんとはなしにもう一度振り向いてみると立ちションだった。あーあ、とよくわからんがバッドに入りそうになり、我ながらナイーブというか、やはり調子がよくないなと思いながら帰った。
先日、あるPodcastで庵野秀明が宮崎駿に「パンツを脱いでいない」と言っていたという話を聞いたのを思い出した(立ちションを見て思い出したくなかったが)。最近、ジークアクス効果でよくタイムラインで見かける、庵野秀明が責任監修の「逆襲のシャア」同人誌での、富野由悠季との対談での発言らしい。芸人だったり、その裏方やファンが言っているような、もはやクリシェというイメージだったのだけれど、庵野秀明がその由来だったとは知らなかった。(対談は読んでいないので前者の限りで)私はこの比喩が苦手である。単に下品だなと思う。
なにかの作品を評するときにそのような言葉に仮託したい気持ちは理解できないではない。ただ、その言葉の対象がより直接的に人格になっている場合がけっこうあると思っていて、(ちょっと昔の?)芸人的な価値観が一般的になっているような感じもして怖い。あまつさえ誰かに対して「パンツを脱げよ」と命令形で言えてしまえる人がいて、品がないし何様なんだろうと思う。少なくともその人のために脱ぐ必要はない。
