2026年1月5日
生活史に関する幾つかの本を読んだ。「鉤括弧を外すこと」とあって、「いわゆる」という場合のそれかと思い(込み)ながら読んでいるとそういうことではなく、語りという意味での「」を外すということだった。どう外すか、どうすれば外してもよいかという話で、ここの理解がなかなか難しい。
まず、単に外すだけでは一般性に回収してしまうことになり、それはある種の暴力であると。とはいえ、外さなければ単なる語りの羅列である。語りから見出された何かしらによって、理論の側あるいは聞き手が変わること、またその相互作用とでも言うべきか、それが「」を外すための条件である。さしあたりこういう理解である。
なるほど倫理的ではあるが、なにか物足りない。そのなにかがわからない。