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2025年3月1日
春の陽気春の陽気のウキウキの部分。
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2025年2月28日
首をひどく寝違えて一日中動くのが辛い日だった。運動を始めようと思ったら、、みたいなことがよくある。ここでめげないことが大事だ。同人誌の作業が終わったことで頭の中に余白ができたのか、今日は集中して色んな文献を読むことができ、気がついたら朝の6時近くだった。なんというか、大小関わらず先に予定が入っているということに対して、脳内にキャッシュが溜まっているようなイメージがある。あらゆる予定を今日空いてますかぐらいの感じで入れて暮らしていきたいものだが、まあ無理な話である。とはいえ、忙しそうにしてる/吹聴している人って声かけにくいしねえ(この日記もそうだろうと言われると返す言葉がありません)。となると忙しいことを隠すことになるわけだが、にも関わらず暇そうだと思われるのは癪に障る。暇なくせに忙しそうにしやがってと思われていることもあり癪に障るどころではない。たんに暇になればいいのだけれどいつになるのやら。
ずっと読まねばと思っていた戦後間もない頃の農業経済学の文献をobsidianでノートを取りながら読んだ。だいぶ使い方に慣れてきた。まだその時期は影響力のあったマル経がベースになっている論文で、途中まではふむふむと読みつつも、最終的には農業に資本主義が浸透していくにつれ労働運動に参加する「市民」が生まれました、そのための根本的な条件とは?的な結論で、面食らってしまった。経済の話をずっとしていて、最後にあるべき人間像みたいなもので終わられてもなあと思うわけだが、そういう時代だったのかしら。マル経系の文献を読んでいるとそういうことがけっこうある。ここでいうところの「市民」と「大衆」(あるいは知識人やインテリなども?)の関係をちゃんと整理しないとなんだろうな。なんてことをしていると専門から外れるわけである(たまに人に指摘されて、それは私の気質のせいかなと思っていたが、マル経を学ぶ宿命/からの要請では?とさいきんは思っている)が、例えば専門バカのことをオルテガは「大衆」と呼んでいた。
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2025年2月27日
運動せねばとなかやまきんに君のHIITトレーニング動画を見ながらやってみた。途中で息が上がり二種目を残してバテた。けっこうジャンプするのだけれど、日常生活で跳ぶことってまあないよな。いつかアイドルのライブにいったとき、気をつけの姿勢で勢いよく真上に繰り返し跳んでる人をみて怖いと感じた。ロックバンドのライブで手を挙げて前後させるあの動きも苦手だ。自由に踊ってみてよ、いうミュージシャンもいるが、自由に踊りたくなるような曲を演ってますか?とは思う。さておき、人の機械的な反復運動をみるのがなんだか不気味で苦手だ。
YouTubeのショートやTikTokでたんに人を惹きつけるために?ゲームのNPCのような動きをする若者を見るとひえっとなる。と思って調べてみたけど見当たらない。いっとき毎日のように見かけたのに。服を紹介する系の動画で、その導入の際ピンマイクを持ってしゃべるのだけれど、そんな揺れんでもいいやんというぐらい上下に揺れながら話していて、みるたびに腹を立てていた。ルームランナーの上を歩きながら服を紹介している若者を見つけることはできた。服がスムーズに切り替わるように編集されていて、ゲームの着せ替え画面みたいだ。
しかしまあ一体なにに不気味さだったり嫌な感じを抱いているのだろうか。演る側が機械的に動いて/動かされて(誰に?)いるのに違和感があるというのがまず一つ。加えて、馬鹿にするなよというか、見る側の人間の本能みたいなものを利用しやがってみたいな気持ちもある。別に動画を作っている人にそんな魂胆はないんだろうけれど、そういう型が自然発生的に生まれているようなのも怖い。阿波踊りはずっと見ていられるんだよな。その差とは。
なんてことを考えながら久しぶりにプロテインを飲んで風呂に入り、今日に回した同人誌デザインの最終作業。ゲラへの修正の反映の再確認がメインである。気をつけていたつもりが、やはりというか結構ミスが見つかって、これはどうしたら防げるのだろうか。自分への信用がなくなってしまったので、チェックリストを作り、各執筆者に対して最低3回は見直した。どうか新たなミスが見つかりませんように。思いのほか時間がかかったが、ひとまずは終わったので、お疲れ様ということで一杯だけ軽く飲みに居酒屋へ。人生で初めて1人で居酒屋に入った気がする。こういうなにもしなくていいゆったりとした自分の時間を増やしていきたい。